やさしい音色−6−
ユーリの耳が聞こえなくなってもう一週間がたとうとしている。
ユーリは筆談で会話、俺とにいたっては筆談もなくまるで耳が聞こえているかのように会話し、とくに
困った風もなくいたって普通に「振舞って」生活している。
「振舞って」と言うのも、ユーリの体調が優れていないのがわかるからだ。
皆は気付いてないかもしれないが、ユーリの態度が以前に比べておかしい。
耳が聞こえてないということを除いてもだ。
初めに異変に気づいたのはユーリの耳が聞こえなくなった翌日。
執務室でグウェンダルと共に書類に目を通し、サインをしていたユーリがペンを置き右手で目頭を押さ
えた。
「ユーリ?どうかしました?」
そう書いた紙をどこか焦点の定まらないぼうっとした目で見つめ、返してきた返事は
「ううん。ちょっと目が疲れただけ。」
「そう・・・ですか」
嘘だ。
ユーリは一種の癖で眼精疲労の類のときは左目をこする。
これは必ずと言ってもいいほどで他の動作をみたことがない。
だから、本当はどうしたのか問い詰めたい。
でも、ユーリはストレスからくる失調だ。
どこまで入り込んでいいのかわからない。
とりあえず、その場は何もしないでおいた。
それから、異変がなになのかユーリの一挙一動を一つももらさず見ていた。
あれは・・・
眼震
ユーリが目頭を押さえる前と手を離した直後の目をよくよく見てみるとわずかだが、瞳がぶれている。
そしてほんの少しの頭の傾げ。
それがあらわすもの――眩暈――だ。
そしてユーリをみていてもうひとつ気が付いたことがある。
頬杖をつく振りをして耳を押さえているのだ。
耳が痛いのだろうか?
眩暈と違ってその原因は見ていてもわからなかった。
グウェンダルとギュンターは気付いているのだろうか?
そう思って二人のほうへ視線をめぐらすけれど、二人とも執務に励んでいて気付いている様子は見られ
ない。
ただユーリを見ているだけが許される護衛の俺と違い、二人とも常に執務に追われる身だ。
気が付かなくて当然といえば当然だ。
そのくらいユーリはうまくごまかしていたし、違いもほんのわずかな事だった。
けれど、明らかに異変だ。
「ユーリ、疲れているなら休んだら?」
さりげなく、休むことを進める。
「何言ってんの。おれはまだまだやれます!」
俺限定の、いつも通りほんの少し頬を膨らませて上目遣いの反抗。
いつもは休みたいだの、城下に行きたいといったおねだりだけれども。
「でも、ユーリ」
でも、このおねだりは聞けない。
原因がなんであれ、眩暈があるようなら休ませなくては。
俺からこのように強く休養を求めることは珍しい。
グウェンダルも手を止めてこちらの様子を窺っている。
「コンラッドは心配しすぎ。今日はいつもの半分も終わってなし、この程度でへこたれてたら高校生や
ってられません。授業はもっとノートとったりするからな。」
そう言って笑うけれど、その笑顔は彼の本当の笑顔ではない。
いつもの大輪の花が開くような笑顔ではなく、ただ笑みの形を作った、そう、仮面のような笑顔。
いつの間にそんな事を覚えたんだろう。
前は辛いときは辛い、嬉しいときは嬉しいと素直すぎるくらいにまっすぐ自分の気持ちを表していたの
に・・・
俺がいなくなったことでユーリを、ユーリの心を傷つけてしまった。
ユーリのウィークポイントになってしまった。
そのことに深い後悔を感じると共に仄暗い喜びすら沸きあがってくる。
狂っている
己の狂気を抑えきれない。
もしや、ユーリを苛んでいるのは己の狂気なのか・・・
この一週間そんな思いを抱え続けてきた。
そのせいか、強く出られず結局はユーリを休ませることが出来ずにいた。
「ウェラー卿、ちょっといいかい?」
自室の扉がノックされ、そう尋ねられる。
いつも眞王廟に篭って本を読んでいる彼が血盟城、しかも俺の部屋を訪ねてくるのはそうそうない。
何かあったのだろうか。
・・・ユーリの事だろうか。
「どうぞ、お入りください」
「失礼するよ」
猊下の顔色から何事かを読み取ろうとするが、常に飄々としたポーカーフェイスは今も崩れず何を考え
ているかわからない。
「猊下、陛下でしたら・・・」
「あぁ、知ってるよ。今日は君からの進言で休養だろ?今日僕が用事があるのは渋谷じゃなくて君だよ」
本人が気付いているかどうかわからないが、ユーリの体調は日に日に悪くなっている。
最初は日に何回かだった眩暈などのサインが今では1時間おきほどになっている。
さすがに見かねた俺は、グウェンダルに相談して今日のユーリの執務はなしにしてもらった。
「今日は渋谷のストレスの原因について話に来たんだ。・・・単刀直入に言おう。渋谷のストレスの原因
はウェラー卿、君だよ」
やはりそうだったか。
俺がユーリのそばにいることは、ユーリのためにならないのだろうか。
「シマロンにいた頃君が渋谷に言ったことを覚えているかい?」
「シマロンにいた頃ですか・・・」
その頃のことはまだつぶさに覚えている。
覚えてはいるが、ユーリを巻き込まないためかなりひどいことを言ってきた。
いったいどの言葉がユーリを苛んでいるのだろうか、それともすべてなのか・・・
「渋谷は君が離れていったときの夢を今でも見るらしい。朝、君の名を叫ぶ自分の声で起きることもし
ばしばだって言う。」
「それは・・・いったいいつから?」
俺の一言は、夢の世界でまでユーリを?
そこまでユーリを傷つけていたなんて、今もユーリが苦しめていたなんてまったく気付けなかった。
「ずっとだよ」
「ずっと?」
「そう、君がシマロンに行ってからずっと。」
俺がシマロンに行ったのはかなり前だ。
眞魔国に戻ってからも随分経っている。
「なぜ、陛下は」
「君に話さなかったのか・・・。」
「猊下はその理由もご存知で?」
「勿論知ってるよ。でも、それは渋谷から直接聞いたほうがいい。
渋谷のストレスは夢も勿論だけど、一番の原因はそれを君に話せないことだったんだよ。
・・・僕も口を挟む気はなかったんだけどね、さすがに見てられなくなったんだ」
「渋谷のことは頼んだよ」そう言って猊下は部屋を出て行った。
ユーリ、なぜ話してくれなかったんですか。
あなたには、手でも胸でも命でも差し上げるといったのに・・・
そうやってどのくらいひとりで考えていたのだろうか、猊下が部屋を訪ねてきたのはまだ朝だったのに
今はいつもならユーリにお茶を出す時間になり、窓に寄りかかっていた身体は暑さを感じるくらいにな
っていた。
一人で考えていても仕方ない・・・か。
猊下の言ったとおり、こればかりはユーリ自身に聞かないとわからない。
それに、ユーリの問題も二人で話し合わない限りは解決しないだろう。
執務がないとはいえ、耳が聞こえない今一人で出かけることは勿論、城内を見て回ることも出来ないだ
ろう。
きっと、自室にいるはずだ。
そう思い、ユーリの部屋の前に行く。
「コンラッド〜入っていいよ〜」
扉の前に立って30秒も経たないうちにユーリの声が聞こえてきた。
聞こえてないとわかりつつも一通りの礼を言って入ると、ユーリは笑顔で迎えてくれるでもなく、窓際
に立ちただじっと青い空を見上げていた。